2002 06.01 Sat
気づけば6月に突入・・・
ハタチまであと12日。ついこの前あと3ヶ月なんて言っていた筈なのに、
時間が経つのはあっというま。だからといって充実していた訳でもない。
そんなはずがない。いくら人生の中であって良かったと思っている闘病も、
さずがに充実とは口が裂けても言いたくない。というか、言えないよ。

昨日は婦長さん、親の様な看護婦さんがあたしのことを心配してくれて来てくれた。
あたしの押し殺していたものを言ってしまえばどこまでが我侭になってしまうのか・・・
そればかり気にしていたけれど、あたしと同じキモチのヒトが居るということだけで、
あたしの勝手な我侭じゃないんだ!と言い聞かせることが出来たし、
状況もわかってもらえた。
今更、長期の入院に対して辛いなんて思わない。
仲のいい患者さんだってたくさんいるし、
仲の良い看護婦さんもたくさんいる。暮らすのに必要な物だってある程度揃っている。
いろんなヒトが居る訳でどんなに長い入院生活になっても、
いつノイローゼになってもおかしくないんだなぁと経験を持って実感した。
今でも胃は痛くて食欲不振。食べれば吐いちゃいそうで余計に食が進まない。
でも、たった3日しか経っていないけれど、我慢していたものを少しずつ吐き出し、
理解してくださるヒトが出来て、元凶がいないせいもあって、
やっと笑顔が出せるようになった。
主治医の先生達にも相当心配をかけてしまったけれど、
演技でもなく、彼らが来ると、前みたいに自然に
くだらないことも言っていた筈なのに言えなくなってしまった自分。
それでも今日の回診では不自然な態度で接することは無かった。
それだけ少しココロに余裕が生まれた。

一昨日のCTの結果を部長先生から聞いたところ、放射線は効いているとのこと。
来週の水曜日で当初の30Gyは終了だけれど、きっと延長するはず。
その点ではさらにホッとした。
が・・・
数ヶ月前にもヒビが入っているといわれたことはあったんだけれど、
その画像を見たところによると、どうやら坐骨から仙骨にかけての辺りにある骨が
折れているらしい・・・(滝汗)
数週間苦しんだ痛みはその所為のようだ。
かといって歩行に支障があるわけでもなく、痛くも無い。
座っていると多少痛むくらい。
ただ折れていることしか言ってくれなかったし、
驚いてあたしもなにも聴かなかったけど、どうなるんでしょう?
ギブスはめられる位置じゃないし・・・野放しな気がする。
明日回診のとき聞いて見ようっと。




2002 06.02 Sun
夕方、今日の当直の先生が紙に図を書いて持ってきてくれた。
あたしのCTから見た仙骨、腸骨、坐骨、そして腫瘍の位置のものを。
整形の主治医の6人の先生のうち上から(エライ順に)4番目の先生。
でもこのヒトが一番わかりやすくきちんと説明してくれる、谷やん。
結果的に昨日部長先生が「坐骨から仙骨辺りの骨が折れている」と言ったものは
勘違い。
腫瘍が被っている腸骨の一部辺りの骨が損傷しているとのことだった。
なんだ、前から言われたことあるやつだ・・・とホッとするものの、
また不必要な不安を抱かせた部長先生に対して、またかよ・・・って思ってしまった。
別にだからといってヤブな訳じゃないことだけは断言するけど
あたしのいる病院の部長先生は整形では日本で5本の指に入るくらいのお方ですから。
少しずつだけれど、前みたいな不信感は減りつつあるものの、やっぱり不必要なものはいらない。

放射線がそこそこの効き具合を見せていることで、きっと+αの照射をするようだ。
30Gyの段階でその後手術することはあっても、
もし60Gy弱まで行ったら今の段階では手術はしないらしい。
つまり、今のところ手術の見込みはナシ。数年後場合によってはあるかもしれないけれど。
ただ、放射線の効き具合によってその後の化療期間が決まるみたいなので、
大体のヒトは1年の化療も、あたしは数年になるかもしれない。
すべては効き具合にかかっている・・・・
あとはどれだけカラダが持つかが問題なんだけれど。骨髄抑制とかね。
となると、場合によっては短大も下手をすれば卒業できないかも
あちゃー・・・もうしょうがない。なるようになれ!
流れに任せてなったときに考えればいいや。
決して投げやりではなくて。まだまだ人生これからだし。
いいヒト居れば永久就職もあるかもしれないし☆

今日はトータル2ヶ月くらいお世話になった母的存在のIさんとの最後の日。
いつもとなんら変わりは無かったけれど、いつもと同じようにたくさんの話をして、
教わるものあり、笑いあり、冗談ありの最後の日を過ごせた。
いままでどうもありがとう!
約束どおり、退院したら、絶対遊びに行くからね!その時はよろしくお願いします。
(一応あと3週間は転院先の病院から毎日こっちへ通院するけれど。)

あしたはIさんとのお別れの日、そしてノイローゼの元凶がやってくる日・・・
ここ数日間がとっても幸せだった。明日からどうなることやら・・・




2002 06.03 Mon
ひさびさの見舞い客。2コ上の先輩達5人。
うーん、思ったよりも話せなかったのがちょっと心残りだけれど、
今までたくさん話したことも少ないからしょうがないんだけれどー
もっとスラスラいっぱい話せればよかったなぁ。
でも来てくれてすっごく嬉しかった。
センパイオススメのモンゴル800のMDも貰ったし。
かなり楽しみにしていたし、歌詞がとっても良い!!
しばらくは手放せないかも。

大好きなIさんは13時ごろ転院先から迎えが来て去っていった。
土日以外は毎日通院してくるし、最後のお別れじゃないんだけれど、
やっぱり頑張ってね!って握手してくれたとき泣きそうになった。でも堪えた。
そのバックにはノイローゼの元凶がいていつものように騒音を放っていた。
今日からまた戦いだ。でも今のあたしには前とは違う。もう我慢しない。
理解してくれているヒトもたくさん居る。頑張らなくちゃ。

数日ぶりに逢ったYちゃんの母親の一言・・・キレそうになった。
「かずちゃん、痩せた?顔がすこしこけた感じ」。
元凶はあんただよって言ってやりたかった。でもそんなこと言える訳ない。
「あーちょっと精神的のノイローゼになって・・・食欲不振で1、2Kg痩せたからね」
と返した。
本人はケロっとしちゃってさ、食欲ないのぉ?食べれないのぉ?って質問攻め。
物でも投げつけてやろうかと思った・・・くそぅ・・・顔を見るだけでも腹が立つ。
でももう相手にしないで聞き流すんだ。バカは相手にしない!くらいの勢いで。

今日はひさびさに白血球が下がって2ヶ月弱ぶりの皮下注射投与。イタイ。
放射線もやっぱり骨盤に照射しているから化療に比べたらゆっくりな低空飛行だけれど。
泣きっ面に蜂で生理もいきなり来て痛みも倍増。きついー。生理キライ。
でもこれ無いと子供生めない。




2002 06.04 Tue
FIFAワールドカップ日本初戦、しっかり見ました。
と言っても始まって20分から日本の同点ゴール(1本目)は見てないけれど。
その間は、今日入院してきた目の前の80歳のおばあさんといろいろと話をしました。
明日手術だし、話すなら今日だ!と思って。
丁度話を終えた途端に斜め向かいの男性6人部屋からオォーッって叫び声が聞こえて、
テレビをつけたら同点ゴール!!
そのあとは最後までしっかり見たけれど、4人部屋で騒いでいるのはあたしだけだった。
6人部屋(♂)の方で一緒に観戦したほうが盛り上がったかも・・なんて。

午前中、放射線外来にて白血球が下がっているため今日、
明日照射お休みと言われる。
んでもって皮下注射は明日まで。今日は昨日より痛くてイテテテェー・・・と叫ぶ。
最近また言葉遣いが悪くなってきた(戻ってきた)から気をつけなくちゃ。

転院1日目、治療に来たIさんとちょっぴりお話。
(放科外来から帰ってきたらまた呼ばれてしまったためその間。)
Yさんとはどうやら違う個室のようで、行く前に散々免疫を付けていったし
そんなに悪くは無かったとのこと。
こっちも安心。ホッとした。Yさん夫婦、見てますか?(笑)
そのようです、ご安心を!(メール頂いたんでここで近況報告)

追記
メール溜まってます。すみません。きっと20通弱・・・(滝汗)
極力消灯後にネットするのをやめようと努力しているので
日中にて時間のあるときにかならずお返事返します。
ながーい目で待っていて頂きたいです。病人だから・・・患者交流もあるし。体調も。
視力もかなりヤバめだし、やっと食欲出てきたと思って食べてたら
また夕飯吐いたし・・・。なんなんだ、この体。
とにかく体調が宜しくはない様なのできちんと寝ようと思います。
(ドラマは別格。)





2002 06.06 Thu
今日は外来で来ていた元患者さんKさんと転院したIさんが来てくれた。
やっぱり胃痛と生理痛っぽい下腹部の痛みがひどくて・・・
起き上がるとき腰も痛いしで、
2人に愚痴りっぱなしだった。
隣の6人部屋が今日2人退院したからホンキで移動しようかと相談したんだ。
でもやっぱり今の位置はかなり良い場所だし、手放しがたいのが事実。
調子が悪いときの6人部屋は経験済みだし考えた末、諦めた。
「もうやっていけない、この部屋」とか「精神的に耐えられない」とか
コソコソせずに言ってやった。相談しているときにね。Yちゃん母が居たから。
直接言ったってどうにも変えないヤツだし、間接的に言ったって
もういいやと投げやりだったのかもしれない。
調子が悪くなったりするほどだから、気を使う気にもなれない。
悪いコトしたとは思っていないから・・・。
また1Kg痩せてしまったし。こんな痩せ方耐えられない。






2002 06.07 Fri
今日は一日トークDAYでした。午前中は外来で来ていたIさん&Yさんご夫婦、
午後は4ヶ月ぶりに再会した2月に退院したメンバーでプチ同窓会状態。
inあたしの病室。
その後は大学のおなじマネージャーの子とマジマジトーク(謎)
久しぶりによく話した〜って日でした。とても充実。1日があっという間だった。

あたしの前に来た80歳のお婆さんは、術後からちょっと痴呆気味になってしまった。
全身麻酔を高齢の人に行うとごく稀になってしまうらしいのだけれど・・・
言ってることがだいぶめちゃめちゃ。点滴や酸素マスクを抜いてしまう始末。
さらにちょっと病人が荒れてしまった状態で胃が痛い・・・でも苦痛ではないけれど。
自分の祖父がちょっと痴呆気味だったこともあり、
改めて「痴呆」を目の当たりにした。
意外と高齢の方とのふれあいはキライな方じゃないから
福祉の方も向いているかな〜とか、数ヶ月前はホンキで看護婦の道に進もうかな
とも考えたけれど、やっぱり辛い思いをして自分の命を延ばした後、
人のお世話という体力も気力も必要な仕事はちょっと避けたいなって思ってしまう。
屁理屈っぽいかもしれないけれど、人のためより自分のためになる仕事に就きたい。
偏見っぽいけど自分のためっていうかやりたいことの沿線上の仕事にね。
実際は就職難だし、ヘタなプライドとか希望ばかり押し付けていたら
見つからないと思うけれど、なんでもいいから就職しなくちゃ・・・
よりかはやる気も起きるし勉強も頑張れると思う。




2002 06.09 Sun
やっぱり本調子じゃないみたい。うーん、ツライ。
昨日は久しぶりに病院の朝ごはんに手をつけたら午前中ずっと気持ち悪くて、
お昼もまともに食べず、食欲不振でも食べなくちゃと思い
少しは口に入れたんだけれどまた夕飯後、即吐いてしまった。
先生も不思議がってる状態。
1日1回は結構強い胃薬を服用しているにもかかわらず、
いつまで経っても気持ち悪さが抜けなかったり、食欲もない。
やっぱり原因はストレスなんだろうか。それとも肩こり?!
元気な頃からすっごい凝り性だったけれど、
すっごいネットやったりバイトしたりして凝っても偏頭痛しか起きたことなかったのになぁ。寝たきりだとすぐ凝っちゃうのかなぁ?
動かないから新陳代謝は悪いし、血行不良もあると思うし。
でも今更じゃない?とも思う。
だってこんな生活今に始まったことじゃないし、既に4月半やってるし。



今日は久々集合したNとSと写真撮影。
4ヶ月ぶりに3人揃った記念。2人は1月に手術して2月下旬に退院。今回初めて化療が重なた。 Sは今日退院でNは昨日入院、明後日辺りから化療。
あたしは・・金曜にリニアック(放射線)の機械がぶっ壊れてしまいすることなし。明日は再開できるんだろうか・・・。

日本対ロシア戦・・・20時からだから消灯の21時以降は小声でアァーとかヤバイぃとか叫びまくった。今日は4人中3人で♪試合終了後嬉しさのあまり顔がほころんでしまった。笑顔満点(?)だったかもしれない。
詳しいことは知らないけれど、今回はちょっと厳しいのかなぁなんて思っていただけに喜びも倍だった気分。
この前よりも静かだったけれど、押し殺しきれないような小声で病棟全体が応援している声が聞こえて面白かった。
2002/6/9 中央があたし。両サイド2人の病巣は膝と大腿。あたしの病巣は骨盤。3人とも左側。運命?(笑)んでもってみんなカツラ♪回診車を入れようということであたしはしゃがみました。身長は2人の中間。


2002 06.10 Mon
ひさびさのあいのり。
これは見ている人にしかわからない内容だけれど、
過去のビビ&トビ以来の大展開が繰り広げられ久々にドキドキしてしまった。
最近やっぱりスキなのは恋愛ものでドラマにせよ、マンガにせよ、
やっぱり気になる年頃です。
現在ひとりぼっちの状態だから尚更でしょうか。
でも恋愛に限らずいろんなストーリーはとっても勉強になるような気がする。
ありえないような作り話であっても
実際はどんな方向に転ぶかが解らないのが感情のあるヒト同士。
辛いこと、嬉しいこと、どんなことであってもいろんな面を見ることはスキ。
できれば嬉しいことばかり見ていたいけれど楽しいことや良いことばかり
見ていては生きてはいけない。
そんな意味で辛かった経験は今では体験してよかったとも思える自分がいる。
実際、辛いときなんてそんな余裕は無くてどん底に落ちているんだけれどね。

最近の病室はやけに荷物が多くてそんなことでイライラ気味。
とりあえず棚の上に溜まった雑誌はもったいないし
後で読み返したいから家に持って帰ってもらった。
生活必需品以外で不必要なものはやっぱり大量の本と非常食かしら。
(調子悪いときのインスタント類)
まぁこればっかりは今は必要なくてもいづれ必要なときが来るかもしれないので我慢。
あたしはいつもこんな思想。頂き物の箱がしっかりしてるヤツだと『何かに使える!』と思って取っておいてしまう。
いづれ捨ててしまうんだけれど。
時にスパっと捨ててしまわなければならないときもあるんだけれどね、
物だけではなくて。
切り替えがどうもうまくいかないあたし。
なにかと引きずってしまうのもこういうことから連想されるのかも。




2002 06.12 Wed
20歳、無事(?)病院から迎えてしまいました。
昨晩は10時過ぎにはしっかり寝に入っていたんだけれど
0時ごろメールで目が覚めました。
枕元で容赦なしにブーブーなっていたんです。(笑)
その時は寝ぼけながらメールを読みました、6通弱だったかな。
起床後、改めてケータイを見るとさらに7通ほどメールが着ていました。
おめでとうメール。
自分の送信メールは保護っていなかったけれど大半はやっぱり自分から「送って!」
と頼んだヒトだった気がします。
現実目の当たりにすると寂しい気持ちにもなるけれど、
やっぱり誕生日なのにいつものごとく
ほとんどケータイが鳴らないのはどうしても寂しくて耐えられなかったから
そう考えると送ってくれたみんなに感謝です。
12日になってすぐに送ってくれた子も3人いたし。
でも一番送って欲しかった好きな人からのメールは届いていなかった。

昼間はこの前退院した同い年のSくんが外来兼プレゼントを買って、来てくれたり
数週間前にすっごくお世話になったIさんとYさんが来てくれた。
Iさんからは病院内の喫茶でお昼にスパゲッティーをご馳走してもらい、
Iさんの娘さんからルージュをもらった。
Yさんからは以前、病室で撮った写真でBirthdayカードを作ってきてくれたり、
ミネラルウォーターで乾杯(笑)お酒は持ち込めないし、体調がいまいちだったため。
ご飯を食べて部屋に戻ってきたら婦長さんからプレゼントを渡された。
中身を見たら中3からの親友からのPoohのぬいぐるみだった。
わざわざお母さんが直接病院まで届けてくれたみたいでそれを見てたら涙が出てきた。

その後母と1年ぶりくらいに逢った高校のときの友達が花束持って来てくれた。
母はあたしのバイト先でリクエストしたパンを買ってきてくれた。
友達はあえて来るとは告げずに来てくれたし尚更嬉しかった。

夕方、1週間くらい前からのお隣さんとバーテンダー勤務のそのカレから
甘口の白ワインのプレゼント。
「お酒は20歳になってから」のラベルがなんともいえないキモチをかもし出していた。
そしてお酒をプレゼントなんてことで妙に歯痒かった。
これは退院したら飲むことにしよう。
2人とも一回り弱離れたお姉さん、お兄さんみたいな存在だったから
長女のあたしとしては新鮮な気分だった。

Birthday Presents
rouge T'ESTIMO BE-139 game Cast Pazzle
&
タバコ型ライター
ひまわり Sunflower
pooh MONO COMME CAのCandy

傑作カード
pooh 花束持ったPooh ワイン 甘口白ワイン
夕方、またケータイがなり開いてみると好きな人からのバースデーメールだった。
内容を読んだらびっくり。「14日だと思っていた。」らしい。ちょっと笑った。
どうして間違っていたのかを気づいたのかは聴かなかったけれど。
アドレス見直したのかな?お決まりの誕生日0612って入れてるし。
半分はお決まりのように入れたんだけれどね、ホンネは自分でもいやらしいと思うけれど
やっぱりこれも誰かにおめでとうを言ってもらいたくて誕生日入れたようなもの。
なにはともあれメールが来たことで不安が吹っ飛んだ。
喜びのあまり、「来るの期待してました☆」なんて素直に送信してしまった。
気づいたカナ?それともなんとも思ってないカナ?
でも嬉しいことも辛いことも素直に言おうと決めたから後悔はしてないし。
遠まわしにも言いたくなかったし。
でもメールがくる前、もしかしたら突然来てくれたりするのかな、なんて
バカな期待に胸を弾ませてたりもした。
カレシじゃないもん、見込みがあるわけでもないのに奇跡みたいなことも想像してた。

夕飯後、連続訪問者のためすっかりめいってしまったのか転寝(うたた寝)。
パソコンにもメール着てるかな?と思って11時過ぎに開いてみると
7通ものメールが着ていた。
中にはPoohさんメールが着ていたりして、あたしってなんて幸せ者だろうと思った。
んでまた暗闇の中で泣いた泣いた。
みゃじぽんさん、Poohさんメールありがとう!!!

化療入院してるNが今日MTX(メソトレキセート)投与して苦しそうに吐いている。
これをこうして書いている夜中でも声を上げて吐いている。
MTXは投与したこと無いからどんなものかわからないけれど、
しっかり流しをしないと腎臓をかなり痛め、
石が溜まってしまうこともあるようだ。(MTXを投与する方へ という冊子参照)
あたしも同じような吐き方するし、抗ガン剤にめちゃくちゃ弱いから気持ちが凄くわかる。
ここ1週間は辛いかもしれないけれど頑張れ!

ずっと使ってみたいと思ったヒトのソザイをトップに使ったら
Yさん夫から苦情が来てしまった(笑)
以前のブタなら気軽に見れたみたいだけれど・・・
さすがにこのトップは会社じゃ見れないとのこと(笑)
「気持ち的にもオトナになったのね」なんてYさんに言われてうわーって気分。
そんな風にも取れるんだーと実感。確かに時期がうまい具合に重なった。

体調はそこそこ。食事もまぁまぁ摂取してる。
ただケーキ類はちょっと食べる気にならないから
それはまた今度食べたいときに祝うことにした。
折角の物も美味しくなくちゃ、もったいないしね。
鎮痛剤のMSコンチン(モルヒネ)の量も60mgから40mgに減らしてみた。
放射線が効いているみたいで少しずつ様子を見ながら減らすことになった。
痛みが前みたいに増えないといいんだけれどな。




2002 06.13 Thu
誕生日翌日、プレゼントが届いた。元同期のマネからだった。
午後になり大学の部活の同期マネが2人お見舞いに来てくれた。
今日は同期のマネのありがたみを感じた日だった。
3人ともPOOHグッツをプレゼントしてくれた。
そして部内の近況報告をいつものように聞いたりした。
ずっと闘病の糧としていた部活だったけれど、復帰にちょっと雲がかかった。
以前から悩んでいたことだったけれど、拍車がかかって不安になった。
ほとんどが良いヒトばっかりなんだけれど、同じ仕事をしていく中での
人間関係はもめると大打撃。
最近、精神面で弱っている所為か急に不安の塊になってしまった。
今までもめたことだってあったけれど、センパイ相手なだけにちょっと・・・。
同期同士のほうがキツイといえばキツイけれど。はぁ、予定外の展開。

昨日から整形の部長先生に「なんかちょーだい!」のサインをしてました。
手招きしたりして、(笑)誕生日プレゼントっって。
そうしたら下の売店でお菓子とぺこちゃんの人形入りのチョコを買ってきてくれた。
昼寝をしていたから枕元に置いておいてくれて・・・サンタクロースみたい。
見た目も髪も髭も白髪だったらかなりカーネルおじさんっぽい容姿のボスだけれど。
「朝も早いし夜も遅いからお店も開いてないしこれで我慢してくれ」とのコメント付きで。
もちろん冗談のつもりで手招きしていたし、買って来てくれたときすごく嬉しかった。
でも要はキモチの問題で物がどうこうじゃないな、って改めて思った。

あかすりセット(?)はNのママからのもの。
今日は白血球が下がっちゃってお風呂ムリになっちゃったけど、今度のときに使うんだ♪
すべすべになるらしい。おすすめもらっちゃったから早く試したいなぁ。

Birthday Presents
pooh うちわがぱたぱた動くPOOH pooh 冷やして使うアイピロー pooh 後ろにベルト付き
ボディーソープ
&
韓国あかすり(笑)
peko 売店のお菓子 cosme 化粧惑星のネイル&グロス


2002 06.14 Fri
今日はもちろん、グループリーグ最終戦 VSチュニジア観戦!
今回はディールームに知り合いが結構いたからそちらでフルに見てしまった。
やっぱり1人でイヤフォンして見るよりも盛り上がり方が違うし、すっごい燃えた。
時間が昼間だったし、学校なくして見れたなぁ。
ちょっと複雑だけれどこういう楽しみもないとやってられない。
ずっと椅子に座っていたからちょっと腰を酷使してしまったけれど。

観戦中、あたしはたぬきうどん(インスタントだけど)を食べていました。
なぜなら昼ごはんを食べた途端にまたすべて吐いてしまったから・・・
朝ごはんに食パン半分食べただけ。そして3時ごろうどん。夕飯はゼロ。
今日の摂取カロリーは500Kcalぐらいかも。また体重の下一桁が変わりました。

今、1日1回でかなり効く胃潰瘍の薬を服用してます。ここ2週間くらい。
それでもこうして週に1回は吐いているってコトは
飲まないともっとひどいかもと言われた。
前回の化療はとっくに副作用抜けているし、
放射線は胃にかかっていないから原因ではない。
精神的なものしか考えられないみたい。なにが原因?すべて?




2002 06.15 Sat
おととい日記に書いていた部内の(マネ内の)悩みごとを昨晩先輩に打ち明けた。
当の本人に言っても受け入れてもらえるとは思っていなかったし、
世渡り上手なそのセンパイとはうまく交わされるのが目に見えたから
あえて同期の先輩に。
別に逃げたわけでもないし、いずれ直接ハナシはするつもりだけれど、
今いきなり言ったところで解決するとは思わなかったから、手順は間違えていない。
なにより打ち明けた先輩は今までも相談相手になってくれたヒトだから信頼もあったし。
あたしが入院している間に理由はどうあれ5人中3人辞めてしまった
同期のマネージャー。
みな理由はそれぞれだけれど本当の理由は告げずに去っていった。
自分勝手に辞めたヤツ以外の2人から相談に乗っていたし、あたしは理由を知っている。
あたしは辞めるつもりはないし、今の生活の糧は部活が一番だから
真正面から立ち向かいたい。
この長期の入院から開放されて退院したとしても体力的にもすぐには復帰できない。
学校も同じ。
退院したからといって完治でもないし1年以上は化療を繰り返さなければならない。
それを理解してもらえずにいつものごとく遠まわしにヒトを斬る言葉で向かわれたら
とてもじゃないけれど居た堪れない気持ちになるし
一緒に仕事をする気持ちもなくなる。
部活は大好き。仕事も大好き。
それでもさ、そのなかの人間関係でそんなのどうにでも崩れる。
あたしは結果的に崩れたとしても出来る限り足掻(あが)きたい。
後輩のあたしがどう言ったって乗り越えられそうにないし、
現にそれで1人同期を失った。
だから悩みに悩んだけれど、どうして復帰に不安を抱いているのか打ち明けた。
先輩で1人でも状況を把握している人がいるだけでとっても救われる。
これは後輩の中で陰口のように言っていてもなにも解決しないから
先輩に言わざるを得なかった。
第一歩、復帰のためにした行い。1つ、悩みが軽くなった。
その分体調は良くなるかな?
主将にも相談しようと思った。でもこれはあくまでマネ内のこと。
どう説明してもすべてをわかってもらえるとは限らないし、
プレイヤーには無関係なこと。
始めの一歩から巻き込みたくなかったし、
同じ立場の人じゃないと理解しがたいと思った。
いつも相談に乗ってくれるプレイヤーのみなさん、ごめんなさい。
でもこればっかりは相談しにくいことなんです。
別にみんながここを見ているわけじゃないけれどここで懺悔です。






2002 06.16 Sun
いつものように静かな暇な日曜日。
棚の上にあった紙袋から借りてた本を全部出した。
そしたら結構スッキリした。まだ読んでいない小説の山。
少しずつ読んでみようと思う。
片付けて、皮下注射打って、屋上で家に電話した。
その後に6ヶ月ぶりに短大の親友にも電話した。
めちゃくちゃ驚かれたけれど、去年大学内でトランシーバーのように
電話していた感覚。
あの頃に戻った気分だった。くだらないことで大笑いした。30分ぐらい。

午後になりなんとなく帰宅したくなった。
3日前の白血球が2100だったものの3日間皮下注射したし・・・
ダメもとで看護婦さんに相談。
『どこにもほっつき歩かないでただ家に帰るだけ』と言って、
O.Kを貰い3ヶ月ぶりに帰宅。
1時間電車を乗り継ぐと家に帰るなりどっと疲れが。
とりあえず自分の部屋に行ってみたら案の定汚い・・
「あの棚のアレ持ってきて」とか頼んだ分は親が必死になって捜すから荒れ、
要らなくなった物や雑誌、貰ったものはそのまま部屋に置きっぱなし。物置のよう・・・
取りあえずなんとなくパソコンを開き自分のサイトを見てみる。
デスクトップのキーの打ち難さ、見え方、Win98・・すべてに違和感がある。
ノート慣れするとこんなに気持ち悪いものなのか・・・
メールを開いてみると登録しておいた就活のところからそれぞれ280通ほど・・・
それが×3くらい。開く気にもなれないし大笑いした。
5か月分のメールってこんなになるんだと。
リビングにあるテーブルのあたしが使っていた椅子は逆さ向きのまんま。
当たり前のように。
あたしの席の真後ろにデスクトップがあってパソコンやるときに使っていた椅子。
家を離れて生きているこの5ヶ月、「パソコン用の椅子」に変わっていた。
食事するとき、お箸立てにあたしの箸がなかったり。
自分の居場所をなくした気分だった。
我慢がならず大泣き。
突然帰ったんだもん、考えれば当たり前のようなことだったけど。
それを見たら帰ってきたことの嬉しさ以上に複雑な気分になってしまった。

家に帰ってきたのは17時ごろ。でも薬を貰ってくるのを忘れて母に戻ってもらう。
帰ることに胸を弾ませすぎてすっかりど忘れ。2往復させてしまった。親不孝もの。
夕飯は家族4人で近くのサイゼに。
食べた後はレンタルショップに連れて行ってもらった。
MDに録音を済ませお風呂に入り、お父さんが見ていた昨晩の「アルマゲドン」を
一緒に鑑賞。
映画館で見たとき、病院で見ていたとき、自宅で見たとき・・・同じところで泣いた。
話しを知っていたって泣くもんは泣く。
いつもだったら「早く寝ろ」と言う父も何にも言わずに二人でビデオを見ていた。
優しかった。
眠りについたのが1時ごろ。
家でならおかしくないのに、病院での1時って真夜中だよね。電気が消えて4時間後だし。
23時過ぎにお風呂に入っていること自体違和感があった。




2002 06.17 Mon
3ヶ月ぶりの我が家も8時には病院に戻らなければならなかった。
9時30分頃に下の臨床検査部の人が来る。
それに間に合わなければならなかった。
とっさに立てたプランだったけれど、今度こうして帰ってこれるなら
月曜に検査がなくて日曜は午前中に早めに帰宅すれば
もっとゆっくり出来るね、って話しをしながら病院へ帰る。
行って来ますじゃなくてじゃあ病院に帰るねといっている会話がなんとも辛い。
今更ですけれどね、家に帰ることも外泊許可を出さなければならない生活。
それがキツイ。

車で50分、病院に帰ってくる。採血を済ませ、CTの問診表、予約表を貰う。
それを見て思い出した。
今日は造影剤投与してのCTだった。お昼抜かなくちゃいけないんだと・・・。
慌しい朝だったし普段あんまり食べないからご飯一膳弱くらいしか食べてこなかった。
予定を見ると15:00・・・あと6時間絶食・・食べるなといわれるとお腹が空くあたし
。無いものねだり?
仕方が無いので寝てごまかしたり、MD聴きまくったりして時間をつぶすこと6時間。
やっと呼ばれてB2Fに下がるとまた待たされ、さらに待つこと15〜20分。
CTの機械に乗ってみるとはて。。血管がほとんど出なくて造影剤投与が難しくそして2回失敗。
止む終えず造影剤なしで撮ることになってしまった。
痛くても足でも良かったのに。
先週、診察のときに悩んだ末に造影剤使用の同意書にサインしたのに・・・
お腹空いたのを必死で水ばっかり飲んで腹膨らませていたのに・・・
呆気なく撮影終了。両手の甲にあざが出来ただけだった。痛かった。

帰ってきてから友達と上にある喫茶に行ってカレーを食す。17時ごろだったかな。
これでお昼兼夕食の終わり。
こんなもんで十分もってしまうエネルギーの不必要さを感じる。

昨日帰るときに普通に電車で帰ったもんだから両足筋肉痛。
大腿からふくらはぎまでパンパン。
口ではしばらく体力が戻らないといっていたけれど、こんなになってしまうとは。
去年なんて電車が来れば階段駆け上ってラッシュの電車に飛び乗っていたのにさ。
ここ5ヶ月階段なんてロクに使ってない。
スリッパでちょこちょこすり足で病棟歩いてるだけ。
ちょっと話せば疲れてベットにゴロン。こんなにも体力、筋肉が落ちているなんて・・
退院したらホント暫くは散歩からスタートだ。頑張って体力つけなくちゃ。
部活のマネージャーどころか学校も地元の買い物だって
自転車だって怖くて乗れない。





2002 06.16 Sun
夕方の先生が見回りに来たときのこと、とある質問をした。
「術後のリハビリテーションしていなくてもここで杖買える?」か。
この前電車に乗ったときやっぱり普通に見られたのね。当たり前だけれど。
だから車両内を歩くとき思いっきり左足引きずって歩いてみた。
あたしは足が悪いのよ!みたいな。
別に威張りたいんじゃなくて気にしてもらいたかった。調子が悪いことに。
それを解ってもらうにはやっぱり『何か』が必要。目に見えるサインになるもの。
松葉杖じゃ大袈裟だし医療用みたいな杖を購入することにした。退院前いづれ。
その時またまた手術の可能性を質問。やっぱりしない!と断言された。
放射線後はひたすら抗ガン剤と画像のにらめっこを繰り返すようだ・・
あと2週間くらいで放射線終わるしかなり憂鬱。またあの苦しい日々が来るんだ・・・
術後化療に来ているヒトで結構いるのが強いイフォマイド、アドリアの交互のタイプ。
でもそれは腫瘍の細胞が円形でないタイプらしい。
あたしは「円形細胞肉腫」 きついイフォマイドを含めて常に3種混合。
アドリアだってそこに入る。
整形部門の抗ガン剤はかなり強いもの。
他の外科で使われてるよりよっぽど副作用もひどい。

杖の話になったとき衝撃的な一言が。

「もう走ることは出来ないね。腫瘍で壊れた骨は治らないし」

言われなくちゃわかんないよ。
ずっと手術しないならなんにも後遺症残らないと信じてたもん。
でも悪性腫瘍なのにそれくらいの後遺症なら可愛らしいものよね。
マネのボール拾いとか二度と出来ないけれど。
それに運良く今まで文科系の部活に燃えてたし
二度と楽器がふけないわけじゃない。
スポーツにストップ掛けられたわけじゃないから運がいいんだ・・・
仕方ない、仕方ない。言い聞かせる。ジムや水泳なら運動できるじゃない!

ドラマを見ていて思うこと。
今日のFast Love・・・そして夢のカリフォルニアの第1話・・・
内容的には衝撃だけれど、安易に自殺のシーンとか載せてほしくない。
数年前自殺が多発していた時だってあったのに。そうじゃないときはいいの?
辛いときの逃げにしか見えないよ、実際あたしもその逃げに走ろうとしたこともあったけれど。
どうして命大事にしないの?
それぞれの勝手だと思うけれどリストカットした人のサイトが多かったり、
カッとなったから暴行したら亡くなっちゃったとか・・・・
生死をさまよう場所にいるからこそ、そういうのに敏感になる。
もっと頑張って生きようよ。辛い分だけ楽しいことが必ずあるんだよ。
人を傷つけたりそれを平気でやってるヒトとか・・
もっと「ヒト」を自分を「大事」にしてください・・・
一度きりの人生だもの、折角命を貰ったんだもの、楽しまなくちゃ損だよ・・・




2002 06.21 Fri
もう週末に入ってしまう。
あたしは更新もろくにせずにいったいどう過ごしていたんだろう?
今日は6年間所属していた部活の音楽監督の誕生日。メールを送ってみた。
「かずこのこと心配しているからメールしてあげなよ!」と
親友に言われていたんだけれど、
言われてから大分月日が流れてしまった。
今日は誕生日だし丁度いいや!と思って送信。

昨日から放射線の照射位置が少し変わった。線量もやや減った。
この量であと4回で終わり。
約1ヵ月半に及ぶパラダイスのような日々は終わる。
この間も相変わらず胃の調子は不調だけれど、
時々吐くくらいで食欲も不振だけれどまぁ元気に過ごせてきた。
来月あたりにまた化療する。2ヶ月ぶり。また地獄の日々がやってくる。
でもそれを終えればこの長期入院にとりあえず終止符が打たれるだろう。
長かった・・・・この人生初めての入院6ヶ月が。とりあえずもう一山越えないと。

早く戻りたい一心だからこそ、考え方がまだ幼いからこそ、
相変わらずの近況報告は聞きたくない。
調子が良くて眠れないときは23時過ぎに平気でみんなにメール(携帯)するくせに、
調子が悪くて寝てるときにメールが来るとイライラするだけ。返す気力もない。
電源切っておけばいいのにそれさえも忘れる自分。自分が悪いだけなんだけれど。
でもやっぱり親切で教えてくれる近況報告を聞くと
「みんな楽しくやってるんだなぁ」って思って
とっくに乗り越えたはずなのにまた寂しくなったり羨ましくなったり
複雑に感情が入り混じる。
いい気分ではないのは確か。
もっと精神的に大人にならなければいけないのは十分承知なんだけれどね。

昨日今日と、世間の狭さを知った。
ある1人の主治医の先生の彼女(一人目)があたしの高校の先輩だったこと。
看護婦さんのある1人がやっぱり10年くらい上の高校の先輩だったこと。
先輩といったって6-10歳年上だからもちろん知り合いではないけれど。
今まで母校の話しを聞いたことがなくてまさか入院先でこんな話を聞くとは
思わなかった。
サイトを通じてはあたしのかかってるG病院の繋がりのある病院に
入院した人とも知り合ったりとか、
過去にここ(病院)に入院していた人と知り合ったりとか
出会い方は様々でもこれも出会い。
出会いはどうあれ人との出会いは大切にしたい。
今日転院先から退院したIさんも含めて。

今日の摂取カロリーもまた複雑・・・
朝ゆで卵1つ、昼チリドックにカレー数口、夕飯ゼロ。
真昼間にまた吐いちゃって一気に食欲低下。やっぱり1週間に1回は最低嘔吐してる。
コントロールできない自分の体がホント嫌。




2002 06.22 Sat
昨日の引き続き、ほとんど食事を取ってない。
朝はゼロでお昼はご飯だけ(納豆)。
夕飯は病院食はパスでチーズドックとヨーグルトのみ。
昨日のチリドックと同様バイト先のパンを食す。もう病院食全くダメ、、、
今までそこそこ食べれていたし、味だって病院にしてはかなりまともなのに。
体がやっぱりおかしいのは確か。
お隣さんが使ってるシーブリーズとか入れたてのコーヒーのとか
嗅いだだけで気持ち悪くなる・・・食べれなれないことが辛い。
悪循環なのはわかっているんだけれど、食べたいものといえば味の濃いもの。
ポテトチップスとかインスタントラーメン系。
こんなの食べてたら脂肪しか付かないのに。
一番太るもとの炭水化物しか取ってない生活。脱出したいけれど食べられない。
あくまで整形だから「食べたいものを食べたいときに」がモット―。
化療患者の特有。
またいつだったかの食べないがために体力が急激に落ちて眠くなる生活に戻ってきた。
明日は日曜日。もう家に帰って1週間経つのか・・・・
ホントつまらない生活してるよ。
ゴロゴロしてるかネットしてるかテレビ見てるか・・・
小説読もうとしていたのはどこに行ってしまったんだか。
明日も今日みたいに周りの来客が多くて五月蠅くなるんだろうか・・・やだなぁ。
やっぱり調子悪いんだ。周りの声、においがすべて吐き気に来る。




2002 06.23 San
比較的静かな日曜日。今日もネットに向かい音楽を聴きまくる。
今日の摂取といえば、朝ゼロ、昼インスタントのうどん&おにぎり、
お昼ごはんにお味噌汁。
ココ最近、これが日課になってきた気がする・・・(滝汗
ちなみに夕飯のご飯は納豆キムチで☆
意外と美味しいしナットウキナーゼとキムチに入ってる成分?が
やせる効果を出すんです。
食欲低下で今日(日曜)の体重測定でまた痩せたのに痩せたいんだよね。
これは入院前からやってるんだけれど。
一度お試しアレ!まずかったらごめんなさい。でもあたしは美味しいと思う。

今朝の回診でまたなんか目が黄昏っぽくなっててヤバめだったら主治医から一言。
「放射線終わったら気分転換に外出ないし外泊してきたら?」と。
今日、骨肉腫で亡くなった8歳の男の子のサイトを訪れたのね。
肺の転移を繰り返し、同じ抗がん剤に耐えそして天使になった子だった。
それも化療を受けたのは5歳の小さな体で頑張っていたこと。
それを見たら、あたし何やってるんだろう・・・って思っちゃった。

でもココを見てくださっている人、所属している部活の人には
「頑張っているのはわかってるよ」とか、
「初めから頑張りすぎで頑張れとは言えない」と言ってくださる人も居る。
自分でも小さいことから頑張りすぎて体調壊したりしてきたんだけれど、
やっぱり常に頑張らなくちゃと言い聞かせている自分が居て、
頑張れないときは抜け殻みたいになっている。
今は頑張れないというよりも精神的に気分を入れ替えないと
ほんとに次の化療参っちゃう気がする。
弱いなぁあたし・・・
なんだかんだいっていつもやられてしまうのは精神面とストレスによる胃痛・・・




2002 06.24 Mon
3ヶ月ぶりのめもがきから抜粋。3ヶ月ぶりにメモ帳を引っ張り出して書いてみた。
あたし以外の人には解らないかもしれないけれど。

放射線25回目を終えて、埼玉の川口にある介護用品のお店に繰り出した。
今回は「行きたいんだけれど、連れて行って。」と父親に告げた。
入院前のあたしは言いたいことをハッキリとは言えずボソッと言って
「やっぱりなんでもない」と言っていた。
言いかけたことは最後まできちんと言えと怒られていたっけ。
その分、あたしも人に対してそうだったけれど。
車に乗り25分くらいで到着。意外と早かった。
自分のほしかった形の杖を出していただくがどうしても納得がいかない。
杖もなかなか太い方だし何よりも気になった腕を固定するところがプラスチックだった。
トモダチが病院で借りていたのは金属で・・・あんなのが欲しかった。
頭の中にアレと決めていたのだ。
お店の人の計らいでピンクや他の色の杖を出そうとしてくださったけれど、
シンプルなのが欲しかったし、
“今”だけじゃないから飽きの来ないものが欲しかった。
結局もう一度病院で検討してゆっくり決めることにした。
妥協して後悔はしたくなかったし。

その帰りに2人でファミレスに入った。食べたかったステーキとチキン、
ライスをそれぞれオーダー。
半分ずつ食べた。良く噛んでで食べた。コーンスープも頼んだ。
久しぶりだった。美味しかった。
やっぱり胃がおかしいのは精神的なものなんだ。
だってこんなに美味しく満腹にいただけた。
気持ち悪さもなんとも無い。

食事を済ましその後4.50分は話しただろうか。
退院後のこと、お父さんに対する不満、(笑
お金の価値観、今後の生き方、これからの家族との付き合い方、学校のこと・・・・・
普通だったら、今だったらあんまり話す親子は少ないかもしれない。
勝手な憶測だけれど。
でも父とあたしはこれが今では普通。
入院して前よりもさらに話す時間が増えたかもしれない。
(母とは今まで生きていた中で1番ゆとりを持って話せている。)
様々な話しの中で幾度となく涙を流した。どうしてかはハッキリとは解らないけれど、
1つだけ確信したのは目の前で当たり前のように話していることが
“今”ではとても新鮮で嬉しかったこと。

店員さんにまた言われたくないことを何度も言われてしまった。
あたしが(杖をあわせているのを見て)

「あなたが使うの?(驚」
「はぁ、、今も入院中でココ(骨盤叩いて)に悪性腫瘍がありまして・・・
 ちなみにコレもかつらです。」
「・・・・・」
「全然見えない・・・お若いのに・・・・肌もきれいだし・・・」
「だから買うんです。見えないから。見えるなら買いません。」

知らない人の言葉ってどうにでも傷つけられるんだよね。仕方の無いこと。
あたしだって告知されて理解するまでこんな病気知りもしなかった。
若いからカワイソウなんじゃない。だってこれは小児ガンだもの。
あたしより年下の子なんてごまんといる。
肌は自分なりにちゃんと手入れもしているし、
何よりまともに半年日に当たっていないもの、
入院前に使っていたファンデも色が違いすぎて使えないくらいモヤシみたいにになった。
3、4時間睡眠だったのも今では最低6時間。睡眠時間は24時間与えられてるもん。
キレイで当然。それなりにやっていますから。(心の叫び)
こんなことで気にするあたしもあたしだが、瞬時にもうちょっと考えてよって
思うこともある。
知らないことがすべての原因だとしても考える力は備わっているじゃない、と。

最近痛みもほとんど無く(鎮痛剤モルヒネは服用中)ずっと仰向けで寝ていたら、
床ずれになってしまった。かなり痛い。病巣の所為じゃなくて床ずれで座れない。
術後や寝たきりでならあると思っていたけれど、まさか今の自分がなるとは予想外・・・・




2002 06.25 Tue
高校の時の吹奏楽仲間から手作りテディベアのバースデープレゼント。
元から器用だしさすが現服飾科!真似できない手工。ありがとう!!
放射線もあと2回で終わり。そしてもうすぐ2ヶ月ぶりの化療。
やっぱりあたしの主食的存在のイフォマイド投与のよう・・
折角生えた毛ももうすぐまた抜ける。
元気なうちに見納め。とりあえず、頑張って1回生えてきてくれた髪の毛さん。
未知の世界の人には驚きですか?これがハタチになったあたしの素です・・・
つむじが右寄りだったとは・・・ずっと左側でわけてたのに。正味1、5cm!
Teddybear お手製テディベア 2002/06/25 ちゃんとしたはずなのにフードが・・・


2002 06.27 Thu
放射線治療、全28回、線量54.8Gy(グレイ)照射完了!
1ヵ月半のすてきな日々が終わった。また抗ガン剤地獄だ・・・
と思いきや昨日の朝の回診で主治医の部長先生から一言。

「放射線後、白血球下がったら退院ね。」

意味不明かもしれないが、要は解釈をつけるとこう。
白血球下がったらその間抗ガン剤投与できないわけで、行う治療がない=邪魔
ということ。

「確かに白血球上がるまで待ってる間に一人オペ患入れられるね」
と主治医に言ったら「君は長く居過ぎで知り尽くしてしまったな」と。
だってず--っっと見てりゃ解りますもん。しょうがないって[壁]`∀´)Ψヶヶヶ



で落ち着きもしない今日。そして9時半に採血。

お昼前にいつも結果でる採血も今日は15時を過ぎても言いに来てくれない・・・・
あー正常値でこのまま化療決定かぁと思った矢先、夕飯前に研修医の主治医が!!
「な、なんのご報告でしょう・・・・・?」なんて聴いちゃったら、

7月1日月曜日退院決まりました。
ちなみにWBCは2500くらい。

とのご報告をいただけた。やっと外にでられる。161日間の入院生活におさらばだ。
すぐに自宅に電話を入れ、仲の良い看護婦さん達にご報告。
ずっと変えようと思っていたケータイのメアドも変えて変更ついでに退院報告をした。
メモリーに入っている大半のヒトに一気に送りまくった。
が、変えちゃったヒトも結構居た。
しょうがない・・・あたしがしばらく連絡絶っていたんだ・・・
こうなることはわかっていたし。
学校でも逢えるしまぁいっか。
でもおめでとう!って4分の1くらいのヒトから言われて嬉しかった。
気分はだいぶいい感じなんだけれど、今日もほとんど食事を摂取してない。
朝ゼロ、昼ゼロ、4時くらいにチリドック(またバイト先の)、夕飯ゼロ。
すっごいあたしの胃袋。そうとう小さくなってしまってる・・・ひぃ。
昨日からなってしまった激痛の整理痛も原因なんだけれど。
パソコンなんて触れないくらい昨日は寝たっきり。しんどかった。薬も貰ったし。
やっと癌病院から解禁だ-------------!嬉しすぎる。
1ヶ月弱したらまた化療で入院だけれどその分体力をつけてこなくちゃ。

正直、昨日いきなり退院かもと言われた時は、後ろ髪引かれる思いだった。
整形の患者さんとはほとんど知り合いになって仲良くなったし可愛がってもらったし。
20人以上の看護婦さんともみんな仲良くなったし・・・ちょっと複雑だった。
でも幸か不幸かこれが最後なわけじゃなくまたすぐ入退院繰り返すし、
出させてもらえるときは喜んで出とかないと、
何時までたっても外に出れなくなっちゃう。
明日CTとMRIがある以外はあと3日間ヒマだけれど
荷物整理や患者さんと話まくって有意義に過ごそう。




2002 06.28 Fri
退院決定から翌日、今日はCTとMRI検査が入っていた。
何時呼ばれるかわからないからずっとベットの上にいた。
他の部屋にも遊びに行かずに。
昨日見つけた「絵日記でもかいてみようか」という
サイトさんに遊びに行き気づくと12時。
午後になって14時の検温になってもまだ呼ばれず、
そしてひたすら日記のバックナンバーを拝借。
ホント面白くて「ぷぷぷ」と笑ってたりしてた。それでもまだ呼ばれない。
検温後昨日から巻き爪になったところと床ずれを消毒してもらう。
巻き爪のため、抗生剤の薬まで処方された。病院ってなんてすばらしいんでしょう。
すぐに治療と薬が出てくる★この勢いで5ヶ月で14、5種類の薬を服用したあたし。

冷蔵庫に飲み物取りに行くときに看護婦さんたちに呼び止められ「退院なんだって〜?」と。
廊下で話しをしているときにふとある年配の看護婦さんからひとこと。
「あなたの手ってほんとにキモチいい手をしてるわね〜(もみもみ」
みなさん曰く手の皮が薄いらしいんだけれど、確かにつるつる&ぷくぷくしてる。
これが当たり前だと思っていた20年間。しかしこれは当たり前じゃないことを知る。
小学校の頃、よく『だーれだっ?』って目隠ししてたことがあって
いくら声色を変えてもバレたことを思い出す。
「貴方の手じゃ一度やられたら絶対感触覚えてるわよ」とつっこまれ、妙に納得。
あのときバレたのは声の所為じゃなくて感触だったんだ・・・・と。

結局17時過ぎに地下1Fの撮影室22番と25番に行ってMRI→CT。
MRIは今回一発で造影剤が入って気分はるんるん♪
でも穿いていたズボンにチャックが付いていて、
なくなく検査着に着替えされられた。
お風呂前に来てたズボンには付いてなかったのに・・・(悔
22番検査室、アイソトープ、レントゲン・・・複雑仕様に出来た病院内も、
言われてすぐに北か南のエレベーターどっちを使うかも降りて何処かも
瞬時に解ってしまうくらい 慣れてしまった。
これ長期入院の特権なり。
いま覚えても数年後にはお台場に移転だから意味ないんだけれど、、

今日で入院してから毎日欠かさず行っていた尿測定器に掛けることも終了。
トイレ=コップという観念が抜けなくて普通に手ぶらでいくことが気持ち悪い。
外泊許可貰って自宅に帰ったときもコップなくて違和感覚えたっけ。
生活習慣ってどうにでも変えられるんだなぁ、
退院したらまた夜更かし生活にもどりそうヽ(´〜`;)

夕食後お隣さん(30)とそのカレさんとくだらないことを言い合って大笑い。
きっと次の入院のときも会えると思うけれど、仲良くできて良かったな。
退院したら二人から貰った白ワインで乾杯するぞ〜!

消灯20分前、洗顔するのにタオルがなくてお隣さんのとなり(廊下側)ついてる
ロッカーに取りに行く。
なんとなく、ちょこちょこお隣に顔出すのも悪いかと思って
一気にボストンバックと大量のタオル、
誕生日プレゼントを引っ張りでしてベットの上に出した。
さぁこれじゃ寝れないっていう状態になってあたしの腕の見せ所!
片付け大好きの血が騒ぎ正味10分でパーっと荷造り終了。
と、言ってももう使わないものが入った分だけ。
ボストンバック1つで来たはずなのに流石5ヶ月は物を言った。
た、大量・・・・
とにかくがさばったのは手術後に使うと思って用意した大量のタオル。
化療用に買い込んだインスタント麺、おかゆ・・・友人達が持ってきてくれた本。
退院するときボストンバック以外にこれは4個ぐらい紙袋を要しそう・・・・
明日電話して大きいやつ用意してもらわないと。
別に明日だって明後日だって丸々2日間することないのにやりたくなると
うずいちゃう性格。
動くこと好きなんだよね、結果的に。
それが頑張ちゃうことに繋がるみたいなんだけれど。
っとしばらくは「頑張る」って言葉使いたくもない。頑張りたくもない。疲れた。
ちょっと腰が痛くなった。ヤバイ。後は月曜に親が来たときに頼もうっと。(反省)




2002 06.29 Sat
今日はなんにもすることがなく、借りてたマンガを読んだり、とにかくゴロゴロ。
夕方になり高校のときの親友が大学いもを持ってやって来てくれた。
初めて知ったんだけれど、『らぽっぽ』というお店の大学いも。とっても美味しい。
正直腰に突き刺さるような痛みが走ったり元気というわけではなかったんだけれど、
30分くらいのつもりだったけれど、話に花が咲き2時間半くらい話してしまった。
特別気も使わなくていいし、話や考え方があうんだよね。
でも高3のとき特別一緒にいた訳でもないんだけれど。
元気になって遊びにいけたらみんなで飲みに行くんだ!楽しみだなぁ。

リハビリテーションからお呼びがかかり初めてリハビリ室に入室。
思っていたよりかなり広くてびっくりした。
そして杖を出してもらってあたしサイズに合わせてもらう。
手術もしない限りきっとこれ以上お世話になることはないと思うけれど。
歩けるのにこんなしっかりしたものを買ってもらうのは贅沢だけれど、一生ものだし。
依存しすぎるのは良くないとのコトなので外出用にしようと決定。

ロフストランド
こんなの
夜、テレビでケータイノワン切りによる悪質業者のケースを見た。
昔からなんとなく話は知っていたけれど、
掛けなおして番号を業者に知られたら即アウト、戸籍、住所、名前・・・
全部わかってしまうらしい。
あたしも入院して、03をメインに知らない人からの電話が5ヶ月で16件。
重複入れて20件以上。
知らない人からの電話は一切出ないあたしはまたかかってくるのを恐れて
全部メモリーに登録していた。
4月頃に10件以上溜まった番号に公衆電話(病院にて)掛けてみた。
途中でやめたけど、全部出会い系。
これを1秒でもケータイから聴いてしまったら請求の脅しの電話がかかってくるという。
しかも通話料じゃなくて手数料みたいなものらしく○万の請求。
むやみに掛けるもんじゃないんだな。
掛ける場合は非通知でといってもケータイからは怖すぎ。
やっぱり絶対出るもんじゃないんだな。03の友達が多いだけにすっごい困るけれど。
ほんとに何か連絡あれば自宅にでもケータイからでも掛けてくるし。
そういえばココ最近自宅にもあたし宛の電話がちょくちょくあるらしい・・・・
用件を尋ねると切るみたい。
気持ち悪い、なんなんだ一体・・・・

最近目が痛い、頭が痛い・・・また凝り性かな、視力もだいぶ落ちたし。
これ以上落ちようがないのに。
巻き爪の足も今日絆創膏からガーゼに変わったけれど
すぐに取れちゃって包帯巻いたら大袈裟になってしまった。
でもなんどもミニ手術をするか勧められた。
局所麻酔で2、30で終わるらしいけれど・・・
今回は平気と言われたので断ってしまった。
手術と聴くだけでぞっとする。
これじゃ帰りにローヒールサンダルに指が引っかかって・・・(≧≦;)
巻き爪の足
ちなみに床ずれは偏食でなるらしい。
5ヶ月ならなかったのに今更なるなんておかしいと思った。
だって明らかにココ最近の食生活めちゃくちゃだもの。
きちんと食べなくちゃダメなのね。




2002 06.30 Sun
病院での最後の夜、昨日に引き続き窓側のカーテンは全開で外を眺める。
これで終わりじゃないし、治療だってこれからだ。
でも告知を受けたときのこと、初めて髪の毛が抜けたときのこと、
40度近い熱で苦しんだこと、抗がん剤でヘロヘロになったこと、
いろんなヒトと知り合ったこと…
苦しいこといっぱいだった。辛いことも数え切れないくらいあった。
でも楽しいこともいっぱいだった。生まれて初めての経験ばかりだった。
嬉しさと複雑な気持ちがこみ上げて泣けてくる。嫌なコトばかりじゃなかったから。

夕飯後、同い年のS君が抗ガン剤の点滴台引きずりながら車椅子で遊びに来た。
おとといも話してたんだけれど、あたしもよく話すほうだしS君も話が尽きないヤツ。
気づくといつも消灯過ぎてて時間が来たから話しを終える感じ。
それぞれの苦しみや辛さは違うけれど、根本的な考え方は一緒で話しやすい。
同い年でも性別の違いで考え方も違うしそれがまた面白いし勉強になる。
もうたぶんS君と入院が重なることもないけれど最後の別れでもないし寂しくもない。
仲の良い看護婦さん達に可愛がられて(4)73(号室)から姿が見えなくなると
寂しくなるって言われると複雑な気持ち。
いろんなヒトがいて辛い思いもしご飯も飽きちゃったけれど
居心地は悪くなかった。
いくら短期入院を繰り返すとしても長期入院はこれでおしまい。再発しない限り。
闘病というものが新たな経験をさせてくれたし、精神的にも鍛えられた。
きっと神様が与えてくれた試練なんだ。嬉しくも悔しくも与えてくれてありがとう。

今日は短冊が配られた。来週の七夕用だそうだ。
あたしは明日の午前中に帰ってしまうから
今日のうちに書いて明日巻きつけて帰ろう。
何を書こうか考えた。
何枚ももらえるみたいだったけれど欲張らないで1つに願いを込めようと思った。
幼稚園以来でこんな機会も滅多にないし本気で願い事考えた。

『どんな困難が来ても最後には笑顔で居られますように…
     幸せが訪れますように……』

1つに絞ることが出来なかったし、どんな時にも適応できるように。
たまにはこんな新鮮なこともいいかもしれない。
これも与えてくれた経験の1つだし。

明日はいよいよ退院だ。
きっと帰ってからもあたしのことだ、きっと泣くんだろうな。
いままで何十人もの「お世話になりました」って聴いてきたけれど
今度はあたしの番。
あんまり大袈裟にはしないんだ。
まだ退院の見込みが決まらないヒトの苦しみは痛いほど解るから。
でも看護婦さんたちの前ではいいよね?
気を使いすぎて素直な自分を出さないのは退院と一緒に卒業するんた。
特別することもなかったけれど2日間ゆっくり出来てよかった。
慌しかったらこんなに浸れなかったし。


02/05/13
女子プロ慰問記念
02/05/15
出産退職のTさんと
02/06/05
朝の4人の会合(笑
Mさん、あたし、S君、Kさん
02/06/09
化療仲間
S、あたし、N
02/05/24
よく眺めた窓からの景色@
02/05/24
そのA
Sunshine60
そのB(夜のサンシャイン60